三国志検定1級の私の回答を晒してみます

ただ、大変時間のない中で書いたことをわかっていただければと思います。600〜800文字で論じよが2問で60分しかないのです。1分20文字以上書かなければならないのです。しかも考える時間も含めて。筆が滑っても軌道修正する時間はないんですよ……。
設問は5問。うち2問を選んで回答する仕組みです。

  1. 歴代中国王朝の人口の移り変わりの表を示すのでこれを用いて諸葛亮の北伐が成功しなかった理由を論じなさい
  2. 漢帝国の国家支配理念を絡めて曹操の人材登用について述べなさい
  3. 土地支配制度と関連させて司馬懿が権力を掌握していく流れを述べなさい
  4. 曹丕の「典論」序段を見せて、文学について述べなさい(あんまりしっかり覚えてないです)
  5. 三国志演義が成立する前の、講談としての三国志の盛況振りを示す文章を見せて、三国志演義の成立について述べなさい

設問2.曹操の人材登用制作について、漢の支配理念との関わりの中で論ぜよ。

 後漢においては、祖の光武帝が各地の豪族の協力を得て統一を果たしたという経緯があるため、国の支配も直接民衆を支配することを目指した秦とは異なり、豪族に利権を与えながら、豪族を利用し、間接的に民衆を支配する方式が採用された。
 郷挙里選と呼ばれる人材登用システムとこの支配方式には深いつながりがあり、豪族は自らの支配域における民衆の税負担を肩代わりすることで漢王朝の支配に協力する。この協力姿勢が儒の廉や孝として評価され、漢王朝は評価された者を官僚として登用する。つまり、支配に協力した豪族は儒の理念に照らして登用される形となり、これが漢王朝が豪族に与える利権である。そして、宦官等の汚職により豪族が官僚への門戸を閉ざされると、この支配システムは崩壊し、漢王朝は急速に衰退した。
 この反省を生かし、曹操は支持基盤が脆弱な内は、積極的に名士となった豪族を登用し、支配の安定化を図った。しかし、儒者である名士のつてだけを頼っていては儒者しか登用することはできない。曹操の興味は儒にとどまらず文学、音楽、様々な技術と多岐におよんだ。それらに通ずる者は儒による評価だけでは登用できないため、人を登用するのに儒の評価を用いない、として「求賢令」を発布した。これによりそれまで儒により評価されなかった多彩な人物が曹操の下に集まり、曹操の覇権確立、および中央集権のため名士と対抗するための文化的価値の創設に彼らは大きく寄与した。
 しかし、曹操赤壁で敗れ、再び名士の協力が不可欠となってしまったため、儒の価値観により後継を曹丕と定め、名士の協力を得て皇帝となった曹丕はその借りを返すため、名士優遇の人材登用システム「九品中正法」の成立を呑むこととなる。

講評

40/50
漢の儒教に基づく郷挙里選がとてもよく書けています。というか、そっちが中心となってしまって曹操の唯才主義の方が少なくなってしまいました。逆ならさらによかったです。

まあ……郷挙里選の方ばっかり記憶していて曹操の方は記憶があやふやだったので意図的なんですけど!

設問1.諸葛亮の北伐が成功しなかった理由を下の図「漢〜隋の戸口表」を参考にしながら論ぜよ

 こと古代国家においては国家の力はすなわち人口である。技術力によって、生産効率が大きく変動するほどの高度な技術が存在しないため、人口の多い少ないは、そのまま生産力の多い少ないに直結してしまう。さらには、動員を行える兵士の数も人口の多さに直結してしまう。人口が少ないということは国力がなく、軍事力も小さいということになる。
 さて、図を見ると蜀の人口は北伐の相手である魏の人口の四分の一にも満たない。蜀の同盟国である呉の人口を足しても、なおまだ百万人以上の開きがある。これは、最初に述べたように、戦争を行う上で大変大きな不利である。まず、まともに戦って勝てるような状況ではない。
 この差を埋めるには相当な技術力や奇策などが必要となる。諸葛亮は元戎や鋼鉄の剣、新型の鎧や木牛流馬など様々な発明を行った上で、突然の侵攻となる第一次北伐で奇襲気味に魏を攻めたが、街亭の敗北により果たせなかった。
 この後、魏の防備は強化され、諸葛亮は局地的な勝利は挙げても、第一次北伐のように大きな戦略的優位を取ることはできなくなった。
 諸葛亮ほどの人間が最初に述べたような人口不足による戦略敵不利に蜀が立たされていることに気付かないはずはなく、諸葛亮は勝機がないことを気付きつつも北伐を繰り返していたのではないかとも思われる。
 蜀成立の理念は正式国号の漢が示す通り、漢の復興およびその敵である魏の打倒であり、これを捨てては国が空中分解してしまう。これを防ぎ国内をまとめるため、諸葛亮は失敗するべくして失敗する北伐を、被害が最小限になるよう工夫しながら繰り返し行っていたのである。

講評

45/50
結論部に独自性があってよいと思います。だとしたら諸葛亮は悪人? あるいは辛いのかしら、と考えていくと楽しいですね。

一つ目の問題を解いた時点で35分消費してしまっていたので尚更時間がなかったんで筆が滑る滑る。あと同じこと複数回繰り返して字数稼ぎしてますし一部不正確。木牛流馬の発明は明らかに第一次北伐後ですし、他の発明品も本当に第一次北伐前かしらと考えると「?」としか。
最後はうん、なんか諸葛亮信者みたいですが時間なさ故の暴走ですんで……。とはいえこういうことを考えたことがあるのでこういう文が出て来たのは確かなのですが。

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受験者の方の中には95点を取られた方もいらっしゃるようで、うーん私も当然ですがまだまだだなあと。