三国志検定一級の問題
- 歴代中国王朝の人口の移り変わりの表を示すのでこれを用いて諸葛亮の北伐が成功しなかった理由を論じなさい
- 漢帝国の国家支配理念を絡めて曹操の人材登用について述べなさい
- 土地支配制度と関連させて司馬懿が権力を掌握していく流れを述べなさい
- 曹丕の「典論」序段を見せて、文学について述べなさい(あんまりしっかり覚えてないです)
- 三国志演義が成立する前の、講談としての三国志の盛況振りを示す文章を見せて、三国志演義の成立について述べなさい
以上5問の内2問を選び、それぞれ600〜800字で論じなさいという問題でした。
60分で1200文字↑なので、いきなり書き始めたとしても1分20文字。
ミサトも病み上がりに軽く言ってくれちゃって。1文字につき3秒しかないじゃない。エヴァを混ぜるな。
実際のところいきなり書き始めるわけにはいかないですし、600文字ぴったりで終わるわけは
ありませんのでもっとしんどいわけです。手で書くのではなくてキーボードだったらずっとマシだったとも思いますが、まー終わったら手が痛いこと。普段手で文字なんかほとんど書きませんからねー。
で、私はまず2を選んで。
- 後漢では成立過程で豪族を利用したこともあって国の支配も豪族の協力を得ることにしました
- その協力を儒教的価値観で評価し、評価の高い者を登用することで支配を行っていました
- しかし宦官の汚職により豪族は官僚になる道を閉ざされました
- 利を失った豪族は協力しなくなり、後漢は衰退しました
- 曹操はこの反省を活かし基盤の弱い頃は儒者を優遇しました(荀イクなど)
- 基盤がある程度定まってからは、曹操の興味は多岐に渡っていたので、色々な技術者などを採用するため「求賢令」を発布しました
- これは乱世で有用な人物を起用するのにも役立ち、さらに曹操の君主権力を脅かす名士にの儒教に対抗する力ともなりました(文学など)
- でも結局赤壁で敗れてからは名士の協力を取り付けざるを得なくなったので儒教ベースで曹丕を後継者に指名しました
- 曹丕は名士に借りを作ってしまったので、ソウヒの時代には名士が優遇される人材登用システム「九品中正法」を飲まざるを得なくなってしまいました
という感じで書きました。終盤筆が滑ってるし話のまとめができていない! 時間がないと推敲もできないですよ。筆が滑っても軌道修正してる時間がないんですもの……。
ここまで書いて35分が経過してしまったので、2問目にあまり難しい話題は選べません。
私は1を選びました。
しかし人口を見せられてなんで諸葛亮の北伐が成功しなかったの? と聞かれても
- 蜀の人口少な過ぎ
としか言いようがありません。
あと歴代王朝の人口見せられてもどう諸葛亮の北伐と絡むのかわかりません。
後漢の人口と三国の合計人口を比較すると戦乱があったにしても人口減り過ぎ、これは実際に人口が減っているのに加え国家の支配力(民衆の把握力)が低くなっているんでしょうねーみたいな話は思いついたんですが、それは魏にしろ蜀にしろ同じ話で、こんなの盛り込んだところで話がそれるだけ。
後漢の益州だけの人口とかそういうデータがあれば比較ができたのかもしれませんけど、そんなのもありませんし。
「蜀の人口少な過ぎ」だけだと400字には足りませんし。
仕方ないので、以下のように書きました。
- 古代においては生産性を飛躍的に向上させる技術が存在しないので、人口が多いことがそのまま生産力が高いことに繋がる。人口が多い国は国力が高い
- さらに人口が多ければ兵士を大量に動員できるので、軍事的にも強くなる
- 蜀の人口は魏の人口の1/4に満たず、蜀に呉の人口を足してもまだ100万人の開きがある
- これだけ差があって戦争に勝つには、技術か奇策しかありえない
- 孔明は鋼鉄の剣や連弩、新しい鎧など新しい技術を軍隊に投入した上で、
- 奇襲気味に第一次北伐を始め、備えのない魏を攻めて一定の戦果を得たが、街亭失陥により退却を余儀なくされた
- 以降魏は防備を固めたので、戦果は得られなくなってしまった
ここから筆が滑り始めます。
- 孔明ほどの人間がこの絶対的不利を理解できないはずがない
- 思うに、孔明は勝てないのがわかっていて北伐を継続したのではないか-蜀の成立は正式国号漢が示すように、漢の簒奪者魏を打倒することを目指してのことで、この目標を失っては理念を失った蜀はまと-まりを失ってしまう
- 国内をまとめるため、孔明は被害を最小限にとどめるように配慮しつつ失敗するべくして出陣を重ねたのだ
書き終わった時点で残り1分だったわけで。
筆が滑ってるなーとわかっていても修正する時間はないんですねー。
文章として字数を含め完成していれば合格、としてくれませんかねー。
いやそれ三国志検定じゃないじゃん。そうだねそうですね。