高幹のヘイ州刺史就任はいつ?

宮城谷三国志の4巻を読んでいたのですが、その中で193年当時の各州の長官が誰かという記載があって
幽州 劉虞
冀州 袁紹
ヘイ州 高幹
豫州 郭貢
エン州 曹操
青州 田楷
徐州 陶謙
荊州 劉表
揚州 陳ウ
益州 劉焉
涼州 韋端
交州 朱符
とあってへー高幹って随分早い内から就任してたんだなと思ったんですけど魏書をひっくり返した限りでは高幹の就任は袁譚青州を任されたのと同じ時期にしか思えないんですね。
でも宮城谷先生がいい加減なことを書くとも思えません。何でしょうね。後漢書ベースでしょうか。高幹が韓馥を脅して冀州袁紹に譲らせたのは191年ですが……。それから2年でヘイ州を勢力下に置けるかというと? ただ、これから制圧するよーという段で就任するというのもありですよね。はて……。高幹が早い時期から刺史だったとすると、袁紹死後独立的な動きをしているのも、袁紹によって取り立てられたわけではなかったから、と理由が付くのですが。