劉備が持つ軍事的能力の過小評価
http://muraji-zare.blog.so-net.ne.jp/2009-01-07-3 こちら経由で
http://d.hatena.ne.jp/KJ-monasouken/20081226 こちらを見て。
あんまり、黄巾賊以外には戦闘で勝ってる印象がないんだが
そうなんですよね。劉備ってそういう風に見えますよね。たぶん、この見方が大多数なんだと思います。
原因はわかっていて、中国の儒教ベースの物語ではリーダーは無能でその下に居る主人公が大活躍*1ってパターンが一般的なのです。
その儒教ベースの物語*2のリーダーに仕立て上げられてしまった劉備が無能扱いされるのは仕方ない部分はあるんですけど、正史劉備は出れば負け将軍というわけではあんまりないのでその辺ちょっと説明してみたいと思いました。
まず劉備の個人的武勇についてですが。これは劉備がどんな風体だったかを見れば大体わかります。正史によると、劉備は身の丈七尺五寸、腕が膝に届くまで長く、とあります。
リーチが長いんですね。同じ武器を持った場合相手よりリーチが長い。リーチが長いということがどれだけ戦いの中で有利になるかといったらそりゃもうすごく有利です。一度スポーツチャンバラで小太刀と刀で対戦してみるといいです。よくわかるかと思います。
なので、劉備は個人的武勇は並以上と考えてよさそうです。
三国志で取り扱われる時代は、主将が個人的武勇で道を切り開いてぐいぐい味方を引っ張っていく戦争から、大軍を組織的に運用して個人的武勇に頼らない戦争への移り変わりの時代なのですが、少なくとも前半の部分において劉備は戦争において頼れそうな感じがここからわかります。
実際、劉備の戦歴は以下のような感じ。
黄巾の乱鎮圧
功績で安熹県の尉となっているので、それなりの戦果は挙げたはず。しかも義勇軍を率いてなので、官軍より質の悪い兵を率いて、官軍で同じ程度の功績を挙げた将軍より論功行賞で不利だったはずです。それでこれですから。
青州刺史田楷救援
公孫サンの下に居た頃の話です。相手は袁紹軍ですが、見事撃退。功績で平原国相となっているので、やっぱりそれなりの活躍をしたと言っていいでしょう。ちなみに、この頃の袁紹勢力って別に巨大ではないので、劉備大勝利! ってほどではないです。
徐州救援
本格的に劉備が曹操と戦う前に曹操が退却したので、ノーゲーム。
ただ、このあと劉備は陳登らに支持されて徐州牧となっています。
この頃の徐州は曹操に睨まれているわ袁術も狙っているわでやばい雰囲気バリバリです。
そこへ地元名士の陳登がダメ野郎をわざわざ徐州牧に推すとは考えづらいところはあります。
楊奉と韓暹の撃破
まあこいつらは雑魚だから撃破したとかどうでもいいや。
徐州防衛失敗
とは言え、劉岱・王忠の軍は撃破しているわけで……まあさすがに曹操相手はきつい。戦う前に逃亡。
長坂の戦い
これはまず数で負けていたし、曹操軍が非常識な高速機動戦を仕掛けてきたのでまあこれもどうしようもないところです。
蜀攻略
大負けはしていませんが、ラク城を包囲して1年落とせなかったのはマイナスポイントかな。