横光三国志読んでます
三国志三国志言っている私ですが実は横山三国志は通読したことがなくところどころかいつまんで読んだだけだったのです。
メガドライブの三国志列伝→吉川三国志→光栄三国志→三国志正史→三国無双→北方三国志→秘本三国志→覇王の剣→覇-LOAD-とわりと一般的でない入り方をしてしまったのでまあ仕方ない部分はあるのですが。
以下横山三国志を読んでいて思ったこと。
- わりと吉川三国志そのまんま
- 張飛のデザインはかなり割り切った突拍子もないものなのになぜか馴染むのはすごい
- なぜか横山先生は一見無駄っぽい「使者を迎えるために移動する」とか「様子を見に行く」みたいな移動中のコマを使うけどこれが妙な味を出している。こういうコマはなんか腰が引け気味。
- 序盤は本当に劉備曹操孫堅董卓呂布レベルでないと名前が出てこない。荀イクですら相当の期間モブキャラ。程イクにいたっては徐庶を篭絡する場面でようやく登場。一番の見せ所は官渡の戦いなのに!
- でもその官渡の戦いがどこかに消え失せてしまっているのが横山三国志*1
- 吉川三国志では多少ひどいかなと思えた関所破り五連における関羽の態度が横光三国志ではすごく悪く見えた。どこが義の人? 喧嘩を売って歩いているようにしか見えない
- 曹操は歳を取って髭を生やしてからは負け戦連打のイメージが
- 馬超は癒し系
- 中盤になってくると凌統や李典クラスでも名前が出てくる
- もうちょっと進むと冷苞クラスでも名前が出てくる
- ジャーンジャーンジャーンの後の反応が所属国によって違う
- ジャーンジャーンジャーン→魏所属「げえっ!」「わわわ」
- ジャーンジャーンジャーン→蜀所属「むっ!」「むむむ」 差別だ
で、ついさっき関羽が首を刎ねられたのですが、このあたりにくるとどの三国志でも「お前らもう楽しい三国志は終わりですよ」と言われたような気分になります。このあとは悲壮な三国志、陰湿な三国志、悲痛な三国志が始まります。
まあでも、三国志自体三国のどこも天下を取れなかった話ですから、根本が滅びの美学です。そう考えれば、別段楽しい三国志が終わったところで悲しむべきところではなく、むしろこれからが本番といえましょう。魏呉蜀が建国されるのも関羽が死んでからですし。
*1:連載誌が変更になったタイミングらしい