秀吉=山の民説について

id:rerasiu:20061002:p7の続きです。
あ、その前に、『秀吉の枷』は子作りの話ばっかりでページ数稼ぎ過ぎで、読んでてだれるんでおすすめしません。一応、『信長の棺』で秀吉はどう考えてどう動いたのかはわかりますが、それだけ。もし知りたいのなら上巻だけで OK です。『信長の棺』の売りはミステリ要素だったのだなと確認することとなりました。それだと、昨日のドラマで評判下げちゃった原作『信長の棺』は悲惨過ぎる。謎解きの部分はドラマで公開されちゃったからなあ、ドラマでネタを知っちゃった人が原作を面白く読めるかどうか……。
で、上でリンクを張ったエントリにおいて

さて、これの前作が『信長の棺』なのですが、共通する設定として、秀吉が丹波者(=山の民)であるというのがあります。

これだと確かに色々なところがすっと収まる気がするのですが、これってこの作者独自のアイデア? それとも秀吉=山の民説が昔からあったのかしら。ちょっと調べてみよう。

と書いたのですが、作者の人が参考にしたのかは不明ですが、同様の説を唱えていた人が居たようです。


しかし、秀吉が蜂須賀小六などの側近同様、丹波の山の民の出身で、謀略によってのしあがっていったということがわかってくるあたりはなかなか面白い。

『信長殺し、光秀でない』などの裏日本史本の作家だった矢切止夫が『サンカの歴史』で書いていたことと一致するのだが、『信長の棺』の参考文献リストに矢切止夫の著作はない。作者はどこでこの説を知ったのだろうか?

やっぱり同じことを考えていた人は居るようです。矢切止夫という人はサンカ(≒山の民)関連では三角寛並みに有名な人だそうで。知らなかった。機会があったらチェックしてみよう。と言うか、そろそろ朝霧の巫女事典の整理を始めないとダメだ。