取次強い強い取次

積読山脈造山中さん経由で。
http://www.hanmoto.com/diary/2006/01/11/265/
取次に嫌がられるとどうにもならん、という話は版元とか書店の人から時々漏れ聞くのですがなるほどこういうことですか。
本屋に本が卸される際は基本的に取次会社という企業を通すことになります。んで、日本ではその取次ではトーハンと日販というところが大きくて、この2社で日本で書店に流通する本のほとんどを書店に流しています。
というわけでこの2社に「仕入れませんよ」と言われてしまうともう本屋への流通はほぼダメみたいな話になってしまいます。というのが、上記リンク先。この例では中央突破がうまくいったから良かったようなものの、こういった例は稀でしょう。
まあ、取次だって商売ですから、本当に売れないと思った本を仕入れないのは致し方ない面はあるとは思います。この例では、「そう判断したのだったら」判断ミスだったようですが。
しかし本当に「売れない」と判断したのでしょうか? いや、そもそも「子供が見たら教育上よろしくない」というのは売れないからという判断ではないです。このように好き嫌いやよくわからない倫理観で半ば本の息の根を止められるとしたら、こりゃ言論統制とも言えてしまうのではないですか。
例え本人にその気は無かったとしても、です。
「私はあなたの意見には反対だが、あなたがそれを言う自由は命をかけて守る」という名言があったと思いますが、難しいことなのでしょうけどやはりそういうことが重要なんだと思います。この場合ですと、一応本が書店まで届いて、んで売れないのなら仕方ないという形。本を裁くのは取次でなく読者であるべきだと。
ま、嘘は良くないと思いますが、瑣末な情報や雑多な情報でもそれが流れるのを止めるのはいかがなものかと思います。とりあえず流させてみてその良し悪しは社会なり各個人なりで評価するというのが理想。まあでもこれまでの構造を壊すとか各個人や社会が情報を正しく判断するとかは色々難しくて理想は遠いんですけど。特に各個人が情報を正しく判断しきるなんてほぼ無理でしょうし。
だから「取次とか超腐ってるしマスに流される情報は操作されている! 情報統制の無いネットにこそ真実の情報が!!!!!1111」とかなると、それはそれで別の罠に嵌まりがちなのでこれもまた難しいですね。