水無神社

水無神社は高山市のはずれ、神通川の源流である宮川のほとりに鎮座しています。
じゃあ水あるじゃん何が水無神社だよ看板に偽りありだよという指摘はもっともな話なのですが、
この水無というのは元々は水主(みぬし)であったといいますので、元々は看板どおりの神社なのでした。

ご覧のとおり境内がすっかり雪で埋まっておりました。
一之宮ですが人の通る部分も雪かきが行き届いてないところを見ると(周辺の道はちゃんと雪かきがなされています)現在ではあまり社威が高くないのかなといったところ。

それも仕方ないのかなとという背景はあります。
ここ高山の地が幕府の直轄領だった時代、派遣されていた代官の第十二代目、大原彦四郎が検地*1を行おうとした際に反発が起こり、大原騒動という農民一揆に繋がってしまいます。
この際農民が集まる場所を提供したということで水無神社の神職磔刑に処されています。勿論神社への弾圧もあったわけで、この時から水無神社の社運は暗転したといえましょう。
これがなければ前日のエントリ内でも出てきた神仏大好き金森長近が再興を図っていたりしたので今でも常に賑わう神社であったかもしれません。
ちなみに大原騒動に関しては前日の高山陣屋に資料がたくさん揃っています。
面白かったのは神馬舎にあった記述ですね。
ここの神馬がしばしば逃げ出して周囲の田畑を荒らしたのでその目を抜いたところ、被害が収まったとか何とか。生き馬の目って実際に抜くんですね。まあ抜かないのならああいった修辞は元々生まれないのかもしれませんけど。

*1:田畑の面積を測る行為。これによって算出された面積によって年貢が決定されるが、計測し直しということは当然のように増税に繋がってしまう