一年の計は元旦にあるので自律しよう

 あけましておめでとうございます。

 年末年始の休みはなんだか色々あって嵐のように過ぎ去り、今日から仕事始めなわけですが、さっぱり休んだ気がしません。大掃除も終わっていません。

 私は、興味がある事に関しての整理は得意ですが、興味が薄い部分はダメです。

 また整頓はからきしダメなので、ほうっておいたらどんどん部屋のエントロピーは増していきます。年末だから大掃除! というようなきっかけがないと部屋はどんどんと混沌の度合いを深めていくのです。

 年末にできなかったんだから今月中には完了させるといった期限を切らないと延々とカオスの渦が広がっていくばかりになりそうです。気を引き締めねば。

 でも今週中でなくて今月中と言ってしまうあたりなんか完遂できるかどうか微妙な感じです。

 それで。

 時間の使い方下手ぶり認定試験とかあったら1級を取れる自信がある私ですから、年末年始のこのダメぶりはまあ予測された範囲なんですけど、つまり何を言いたいのかと言いますと、

「実態は本当に忙しかったのかどうかわからないんですけどとても忙しい気がしたので年末から今まで更新できませんでした」

ということです。

 いけませんね。

 さて、今年は皇紀ネタも正しい神社参拝方式ネタも元旦元日ネタもなしで。

 繰り返しはギャグの基本ですがこれだけ間を空けて繰り返してもなんとも。

 というか私が飽きました。正しい神社参拝法はメンテが必要かもとは思っていますが。

 それではそろそろ本題へ。

 本を読む暇がなくても本を買い、ゲームをやる暇がなくともゲームを買う、そして部屋がカオスとなるという私ですが、今回はこんな本を購入しました。

 はい待った! そこ結論出すの待った!

 別に普通の本です。

 変な本じゃないです。

 でも研究本でもないですね。

 古めかしいものがガンガン否定されていくこの現代日本で、脈々と受け継がれ生き残っている文化、その体現者たる巫女さんはどのように日々を過ごしているのか、どうして巫女さんになろうと思ったのか、などなど、現職の巫女さんへインタビューしたという内容です。

 つまり「小学生の頃から巫女さんになりたいと思っていたんです」とか、「私の考えでは、神社に"いること"が仕事なんです。必ずそこにある安心感を皆さんに持っていただきたいから」とか、「何年目であっても、参拝客の方から見れば日枝神社の巫女であるわけだから、着崩れていたらすぐに着直すように言います」といったような、現職巫女さんの生の声満載なわけです。

 そしてその中で、自分が自分がというような自己主張よりも、世の中のおかげさまで生きているという感謝の精神、謙虚な考え、損得勘定よりも奉仕の精神というような、かつて日本にあり、そして今失われつつあるものが巫女さんの中に見えてくるのです。

 こういった精神を、日本独特の文化を、なくしてはいけないと筆者は訴えるわけです。目に見えるものを失ってしまえば、精神も一緒に失われてしまうものだから、と。

 ふらっと近所の本屋の宗教コーナーに寄ったら置いてあったので思わず買っただけなんですが、かなりこれはよい本でした。巫女さんは何故美しいのかということを再発見した気がします。「自律」ですね。自分が自分がと主張せずに、周囲と、自然と調和して、自分がそうあるべきだ考える姿であろうとする、これですね。色々緩んだこの世の中で、自分を律しているからこそ凛として見えるわけです。私なんか四六時中緩みっぱなしですからどおりで巫女さんに憧れるわけです。うむなるほど。

 書かれ方は大上段からといったものではなく、かなりさらっと書いてあるのですんなり読めます。大体1時間半ぐらいで読めました。「私の巫女との出会いは『奇々怪界』と『GS美神・極楽大作戦』」とか「今まで何の感情も抱いていなかったブラスバンド部の女の子が学園祭で巫女の格好をしたところ心を打たれた」とか書いてありますから、なんかこう、アレなのかなあ、と思わされますけど、著者の方は普段ビジネス記事のライターをやられている方なので、別にそっちの方へは行かないので安心です。

 でも紛れもなくこの人は巫女さん大好きな人なのです。何というか「行き過ぎない姿勢」がいいのでしょうか。じゃあ俺はダメですか>拙者

 なんだかまとまりがつかなくなってきましたが、とにかく、巫女さんに憧れを抱いている方には間違いなくお勧めでき、また巫女さんに興味がある方にも是非読んでいただきたく、巫女さんが嫌いではない方にもよければ読んでいただきたい一冊と申せましょう。