真田丸12話 「人質」

  • 戦国オアシス上杉家

今週は戦国オアシス上杉家でしたね。
室賀さんロスの視聴者の心を優しく癒す上杉景勝直江兼続
景勝はもう信繁にぞっこんなダメな大人ですし(まだ30になってませんけどね)、兼続も「あーお屋形様がお前のせいでやる気出したおかげで俺の仕事が増えた―俺の仕事が増えたでござるー」とか言ってますけど完全に軽口で信繁のこと気に入ってるの間違いなしですし。

しかしこの「慕わしい」景勝だからこそこの三白眼兼続という感じがしてすごくしっくりきます。ナイス主従です。
兼続「斬り捨てますか」
景勝「もうよい」
斬り捨てるって言わないのわかってるから斬り捨てますかって聞いてるのすごくわかるし。

  • 直江外交と世の中は甘くない昌幸

「真田は上杉に沼田を差し出すように」
景勝が沼田要求の話を知らないと聞いた私はすわ君側の奸兼続かと思ったら全権委任だったんですね。それもどうかという気もしないではないですが。
しかし沼田は色んな勢力の中核プロヴィンス*1になってしまってわけがわかんなくなってますね。わけがわかんないと言う信幸ちょっと良かったです。
昌幸「世の中甘くないのう!」
結局真田は「やなこったいでござる」と返事をしたのですがここで易々と沼田を出しますと言うようだったらまた嘘だと兼続は判断するつもりだったとのことで良かったですね。沼田の事になるとマジになる真田。YAZAWAおじさんが怖いせいかもしれない。

  • 癒し要素が減りつつも癒し要素残る徳川家

「噛ま ない」
からの
「潰せばいいじゃん」
阿茶様怖すぎ問題。

  • 真田中策まみれや

まさか梅ちゃんのできちゃった結婚が見切り発車の策だったとは……。恐ろしい喃。もちろんきりをかつぐために変なことを言っている可能性もあるのですが、真田の血が入ってない梅ちゃんまで策士となるともうこれはわけがわかりませぬし、信幸兄ちゃんの寿命がまた縮まる!
そんな梅ちゃんの策は信繁の策同様母上には通らないのでした。そんな母上も人質のために嫁取りするみたいなことを言う人なわけで嗚呼。

  • 人質となる信繁

信繁は人質となる上杉への途上ちょっと父上を腐しましたがまあ前回のあれもありますし、父上だけじゃなくて真田中策まみれでございますから、自分もさらに策まみれにならないように一旦離れてみたかったんでしょうね。

三十郎頼康は信繁が人質になる際随伴したことは明らかですが信繁と異なり三十郎頼康は第一次上田城合戦に参加が明らかなのできっと自分だけ帰ってきています。信繁は第一次上田城合戦不参加が定説ですが最近は参加しているという説もあるようです。

さて、人質といえどもきちんと客分扱いされていましたが別にこれは上杉が特段優しいのではなくて家康も今川家の人質時代に随分きちんと教育されましたしそういうものなのです。外交官が他国へ留学してそこのシンパになって帰ってくるようなものです。まあ何かあったら死ぬけど。

ただやっぱり上杉が特段アレなことはあって、謙信が死んだ後景勝と景虎で跡目争い「御館の乱」というのが起こり上杉領はめちゃめちゃになったのですがこの景虎が実は北條から来た人質が謙信の養子になった上で揉めに揉めたわけで、景勝をサポートしてた兼続からすると信繁をいい子いい子して「お前のような子が欲しい!」とか景勝が言ってるのはちょっと心中穏やかならざるものがありそうです。
まあでも兼続ももう信繁にデレてますけどね。

  • 鉄火起請

火起請(ひぎしょう)とも言います。焼けた鉄を持って台まで持って行けた方が加味の加護を得ている=正しいことを言っているとして勝訴とする。両方成功や失敗の場合は火傷の程度が低い方が勝訴。敗訴側は神をたぶらかしたとして処刑。
信繁がこれをやると言いだしたの、火傷しない工夫でもするのかなーと思ったらそうではなかったようで、役人の心理を突いたんですね。
役人は鉄火起請なんてやりたくないので、信繁が焼けた鉄を受け取った時点で自分もやらないと敗訴となります。重度の火傷or処刑が決まるわけで、そりゃ止めるわ。大体信繁は前もって「上杉の客人である」と宣言しているし、そもそもそんな人に火傷させたら役人の立場は大変なことになるのでした。

この後尻を叩かれたら仕事できる男景勝が解決案を出していましたね。信繁は海がない信濃にずっといたのでベストアイデアにはたどり着けなかったのが良かったです。
あと景勝が信繁のやりようを策と見抜いていたのも良いですね。信繁も前回を経てまた全体の不幸を最小限にする策を立てました。

なお、鉄火起請には焼けた鉄が必要となるので、用意できない場合も多く、煮え立った湯に手を突っ込んで火傷の具合を見る湯起請の方が盛んだったとのことです。歴史考証の丸島先生のtwitterで触れられていました。

ちなみに、鉄火起請を実際にやって勝った記録がある大名がいます。織田信長です。
http://www.nobunaga-lab.com/labo/07_ibutu/07-01_ituwa/002-higishou.html
ノブは結構民間のゴタゴタを解決したみたいな話が残っていて「魔王!」より今回の景勝の方が近いイメージがあります。

  • 徳川との手切れと戦

上杉がバックに付いたらもう徳川なんかこわくないぜ。手切れだぜ。ちゃんと手切れメールは出す真田。キレて攻め込んでくる徳川。徳川7000に真田2000.
YAZAWA「討って出よう」
野戦で5倍の敵に勝てるとか意味不明な戦ができるのはYAZAWAさんだけですから!
かといって信幸が言う通り籠城だけでもないという。援軍が来ない籠城は下策と言いますからね。真田は上田全体を使い他の城と連携して有機的な戦いを見せるのです。待て次回。

  • 戦国オアシス上杉家の極み

やっぱりイチオシはここですよね。
真田「援軍くれ」
直江「無理」
景勝「なんとかならぬか」
直江「なりませぬ!」
景勝「わしは決して真田を見捨てぬと約束した。したからには、わしは真田を助ける!」直江「……そうおっしゃると思い、領内から動ける者を取り急ぎ戦える者を集めておきまし、た↑」

、た↑

  • パパ上と人質源次郎

パパ上は今回も源次郎を人質にやってよかったとか失敗したとか正反対のことぽんぽん言ってて本当にその場のノリと勢いだけでしゃべってるなと思いました。

  • 余談:真田家に大事なあの人がいない 三傑

人が増え過ぎると収拾付かなくなるから整理しているんでしょうね。

    • その1 依田 信蕃(よだ のぶしげ)

芦田(あしだ)信蕃とも。真田と同じく信濃の人。武田家に仕えていた。長篠合戦の前後で徳川勢から遠江の二俣城を死守。兵糧攻めの末攻めあぐねた徳川方の申し入れにより開城、全員助命を条件に高天神城へ退去する。退去の仕方が立派だったので褒められたという。
織田の甲斐侵攻が始まると、徳川勢から駿河田中城を死守。また徳川方から開城を申し入れられるも拒絶。勝頼の死後、穴山梅雪から開城を勧められてようやく退去した。家康から仕官を勧められるも、勝頼の安否の詳細がわかるまでは無理、と拒絶する。
本能寺の変後は小諸城で佐久・小県郡の人質を滝川一益に引き渡す。この中に息子康国や昌幸の母、一節に拠れば真田信繁がいて、この人質はドラマ通り木曽義昌徳川家康と引き渡されることになる。
その後北條氏直の兵が甲斐に寄せてくると、碓氷峠で補給線を寸断。さらに北條方の真田昌幸を引き入れ徳川と北條の講和を実現させる。
この時徳川家康真田昌幸に約束した恩賞はドラマより通り「上州長野一跡(沼田)、甲斐2000文貫、諏訪郡と現在の知行(小県)安堵」だったのだが、実は諏訪はすでに依田信蕃に与える約束になっていた(空手形ばっかり!)。
それを知った依田信蕃は、昌幸に「諏訪は譲ります。自分は上野の敵地を拝領し、自分で切り取ることにする」と言い恩賞を譲ることにし、家康に「自分が信濃国諏訪郡を賜るのに、真田昌幸に一郡を与えないのでは、約束が違います。自分は諏訪郡を返上しますので、真田昌幸にお与えください」と申し出たという。が、家康は諏訪を諏訪頼忠(諏訪頼重の従弟)に与えてしまう。
その後依田信蕃は小諸城を任され、周辺の勢力も依田信蕃の下に集まるようになる。1583年2月、反依田勢がその下に集まった大井行吉(この人も元武田家臣)の岩尾城を攻めるも苦戦。楽勝と考えていたのに苦戦したため先頭に立って督戦していたところ狙撃され弟共々討ち死に。
沼田問題などの仲裁を買っていたのがこの依田信蕃だったが、その死後徳川真田の関係は決定的に悪化してしまう。
家康は信蕃の働きを大きく評価していたようで、嫡子康国に松平姓と康の字の偏諱小諸城、この時期としては破格の6万石を与えた。
この人の話を考えると真田が切れて裏切るのも理解ができないではないですね。

    • その2 唐沢 玄蕃(からさわ げんば)

信濃のニンジャ。真田家はニンジャ多いな……。二代続けて同じ名前を名乗った。初代は山内上杉家の陪臣から武田へ寝返る。
二代目は武田家滅亡後は真田に仕える。出浦盛清の配下で活動したという。1563年に真田信幸が岩櫃城攻略に乗り出すと、その下で活躍した。敵の城に忍び込んだ際、金の馬鎧を見かけて欲しくなり馬ごと盗み出してそれを見事と武田信玄に褒められたが戦場で目立ち狙い撃ちにされたという話がある。なお、この話は割田重勝にも同様のものがある。二代目の妻は割田重勝の娘とされている。猿飛佐助のモデルとなった人物ではないかと言われている。
まあニンジャは出浦さんと佐助がいるからこれ以上増やしてもね。

    • その3 須田 満親(すだ みつちか)

信濃高井の国衆。高井は北信濃なので、上杉方だった。村上義清と組んで武田に対抗するも、義清が敗北するとともに上杉を頼った。第四次川中島合戦(一番有名な川中島合戦)に謙信の家臣として参戦している。
魚津城、海津城と順に任され、海津城代の際に真田との交渉の窓口となり、信繁を人質として預かる。第一次上田合戦の際に援軍の必要性を強く景勝に指摘し、上杉救援軍の指揮を執った。その後はあまり真田と関係ないので略。
今回の最後の景勝と兼続と信繁のおいしいシーンの邪魔になるので消されたか。まあ、あのシーン良かったからこれでいいかな。他家だし上杉の人は景勝と兼続に絞るのもありでしょう。来週信繁は須田の下で戦うようにと言われるかもしれないですが。

  • 余談2:室賀さん、三男だった?

物の本によると(今の所私は出典を確認できていません)どうも昌幸と同じく家を継ぐはずではなかったのに上の兄二人が死んで家督を継いだマンだったようです。道理であの対抗心……。

*1:paradox社のゲームのネタですが、要するに勢力が「本来自分の土地である」と考えているエリアのこと