周都督を死に至らしめた書簡を入手

弊ブログをご覧の皆様は周瑜がどのように死んだのかご存知かとは思いますが、一応説明をさせていただきますと、荊州南郡(江陵)に居座る曹仁を退けた際に流れ矢を受け、それが病に繋がったところに孔明から煽りレターを受け取り、怒りの余り病が重篤となって死去したという感じです。
さて、弊ブログではこのたび独自のルートよりこの際孔明が送った文を入手しました。歴史的価値の高いこの資料を独占するのもよろしくないと考えましたので、撮影してお見せいたします。

宛て名

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ゾックは文が勝手に開くので重しです。

中身

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これは周瑜でなくとも怒りの余り死ぬわ。孔明は何という煽り巧者。何か小喬寝取られてるし。これはひどい
えー、お気付きかと思いますがこれは本当はおもしろ三国志さんの新曲「ヴィ周郎」の際に使用された手紙でございます。観客席に投げたのを友人が拾得したので借り受けて撮影いたしました次第。しかしこの孔明は時代の最先端行き過ぎだな。