8年越しの悲願

気持ち悪い事を書きました。以降を読んで気分が悪くなったと抗議されても申し訳ないのですがこちらからは何もできません。
97年の夏にエヴァンゲリオンの劇場版を見て、私はエヴァを無かったものとして自分の中で封印しました。惣流・アスカ・ラングレーというキャラクターを気に入っていたのですが、その好意ごと。
アスカは春の劇場版までは精神崩壊して寝たきり、返事もできない状態でしたが、春の劇場版では見事に復活して、並み居る敵をバッタバッタと撃退し、その活躍に私は胸がすく思いがしました。そのアスカの前に、エヴァンゲリオン量産機が立ちはだかり――春の劇場版はそこまでで、私達はエヴァの決着を否応なく夏まで待たされることとなりました。
そして、夏。
アスカは量産機をもバッタバッタとなぎ倒しますが、その時のアスカの顔は憎悪に歪んでいました。それは多分私らのアスカへの好意を無化しようという製作者の策略なのではと思うのですが、それはともかく、そこまでして倒したエヴァ量産機は何故かその後復活し、アスカの弐号機を陵辱し尽くしました。シンジの初号機が現れたのはその後でした。すべて、手遅れ。
劇場版の最後、殺されたと思われたアスカは生きていました。それはある種の救いであったのかもしれませんが、アスカが放った、エヴァンゲリオン劇中の最後のセリフ「気持ち悪い」、その意味を解釈し損ねた私はエヴァンゲリオンを封印することになりました。この間、劇場版を一緒に見に行った友人に聞いたのですが、映画館を出た時の私は相当凄い顔をしていたそうです。周囲の人間も釈然としていない顔をしていたに違いないのですが、その中でも取り立てて凄い顔とは。相当納得がいっていなかったに違いありません。納得いかないからなかったことにするとは、かなり幼稚なやり方ですが、当時の私にはそうするより他になかったのだと思います。
今般惣流・アスカ・ラングレーへの好意が甦ったのは、ある同人誌を読んだためです。惣流・アスカ・ラングレーが好きで好きでしょうがないという情熱がこもったものでした。それがただのエロ同人誌などであったら、おそらく何ともなかったのでしょうが、恐ろしいほどの情熱が私の封印の扉をついには打ち破ったのです。その後、「気持ち悪い」を何とか解釈できた私は、エヴァンゲリオン2の最終局面、エヴァ量産機との戦いを何度も繰り返しています。20回には届いていないでしょうが、10回は間違いなくやっています。
何でそんなにやっているのかと言うと、いつもアスカの弐号機が量産機に倒されてしまうのです。何とかアスカが無事なまま量産機を殲滅したいのです。自分でアスカを操作すれば簡単なのでしょうが、それをやっても意味がない気がします。何でそう思うのか? 考えて見て気付きました。8年前のあの時から私はずっと、きっとアスカを守りたかったのです。きっと、スクリーンの中でなすがままにされるアスカの弐号機を忸怩たる思いで見ていたのです。そう思ってみると、こんなこともありました。
エヴァを封印していた時にプレイしたスーパーロボット大戦αの中の1シナリオで、アスカが一人で量産機と対峙している時に、ゲッターやマジンガーが助けに来るシーンがあり、そこで涙腺が緩む思いをしたのです。ただその直後にロボット大戦のオリジナルキャラがでしゃばって色々能書きを垂れたので雰囲気台無し、涙がこぼれることはなかったんですけど。
封印している時でさえこうだったのですから、アスカを守りたいという潜在的な願望は間違いのないところのような気がします。
では、現在私が罹患しているアスカ病はエヴァ2の中でアスカを守りきれば治るものなのでしょうか。実際のところ守れてないですし「アンタわたしのこと解ってるつもりなの!? 救ってやれると思ってんの!? それこそ傲慢な思い上がりよっ!」と言われそうな気もしますが。と言うかシンジ君がアスカを守るのが理想。
で、小耳に挟んだんですけれど、スーパーロボット大戦MXには「アスカは僕が守る!」というシンジのセリフが存在すると聞いたのですが、本当ですか。そのセリフを聞きたいためがだけにスーパーロボット大戦MXを購入してもいいという気にすらなっているのですが、実際のところどうなんでしょう。