私は惣流・アスカ・ラングレー萌えです

惣流・アスカ・ラングレーに「アンタ、バカァ?」と言われたいバカであるところの私、つまり純然たる病人で愚者とも言える私が、バカであるのに「アンタ、バカァ?」と言われたくないという気持ちも持ち合わせているのは事実であり、それは、納得のいかない形で幕を下ろしたエヴァンゲリオンというストーリィのキャラクターに屈服するのは癪であるという感覚と背中合わせにあるために、もしエヴァンゲリオンの終わり方に得心がいけば簡単にエヴァンゲリオンというよりは惣流・アスカ・ラングレーの前に膝を屈する準備はできていたとも言えるものの、結局のところ納得がいくことは――すっきりと幕の下ろし方を理解することは――なかったわけで、とある盾と矛とを鬻ぐ楚人の言のように一貫せぬ感情を抱いた私は動揺し、混乱し、その精神状態のままでは日常生活を送る上で必要な平衡感覚すらいずれは失ってしまうであろうという強迫観念に取り付かれ、平穏な日常を取り戻すためにはどのようにすべきか、回らない頭で必死に考えたところ、とりあえず矛盾した感情の発生源を塞ぐに如かず、という結論に達したため、エヴァンゲリオンは自分の中では終了したものである、と自分に対して宣言し、まだ生きているものを無理やり葬ることによって心の平穏を得、毎日のうのうと暮らしていたわけですが、ある日あるきっかけで私の表層意識にとっての死者、しかしてその実態は生者であるエヴァンゲリオンと言うか惣流・アスカ・ラングレーが墓標の下から現れ、かくして生者を死者と呪った式は撥ね返り、私は死者の復活に怯えることとなり、死者は死者として正しい葬礼を以ってして葬らなかったために黄泉返って来てしまったのだと判断してしまうほど平常心を喪った私は何とか惣流・アスカ・ラングレーを正しく葬ろうとするも果たせず、何故葬れないのかと良く眺めてみれば幽霊の正体見たりただの人であり、それで恐怖心が消えた私がよくよく調べてみると、一番納得が行かなかった映画版の最後の、自分の首を絞めているシンジに惣流・アスカ・ラングレーが手を差し伸べるという好意を感じ取れる仕草を見せながらその直後に嫌悪感をたっぷりこめて「気持ち悪い」と吐き捨てるという不可解なシーンに関し、あの「気持ち悪い」は実のところもっと軽く言われるべきだったセリフだったという怪情報を得たため、あの「気持ち悪い」はシンジへの拒絶ではなく本来は「シンジがなんでそんなことをするのか分からない」という意味の「気持ち悪い」であったのか! と、そのシーンがすとんと腑に落ちてしまったため、結論としてこのエントリのタイトルの宣言になった次第。