初詣

日枝神社愛宕神社神田明神大宮氷川神社
の4本立てで初詣を行おうと思い友人らと一緒に行ってきました。
日枝神社赤坂見附溜池山王の間にある、正月三が日の間は定期的に巫女さんが舞っているという素晴らしきエスカレータ付きコンクリート神社ですが、今年は増加する参拝客を効率的にさばくためか、臨時の白い布で覆われた賽銭受け+多数の臨時鈴が登場して拝殿に近づけなくなっていまして非常に味気なく感じました。がっかりです。あと日枝神社の巫女さんはマチ付き袴*1です。
愛宕神社というのはJR新橋駅から少し歩いたところにある神社です。
京都の愛宕神社にルーツがある神社で、火之迦具土神(ほのかぐつち)という火の神を祀っており、火防(ひぶせ)に霊験があるとして有名なのです。なので、江戸を火事から守ろうと徳川家康が京都から勧請したわけなのです。
その関係で境内には葵の御紋がたくさんあります。スポンサーに弱いのは企業も神社も同じことです。
京都の愛宕神社と言うと結構有名なのでここもそれなりに立派なところかなーと思っていたのですが意外にこじんまりとした感じ。参拝客も控えめで、江戸期に比べ火事の被害が大きくならない現代では火防の神もあまりありがたがられないってことなのでしょうか。
あと京都の愛宕神社愛宕山の頂上にあるので、その関係かこちらの愛宕神社も高台にあり、非常に急な階段を登る必要がありました。降りるのが怖いのなんのって。
神田明神は江戸総鎮守です。
元々は平将門を祀っていたのですが、明治になり都が東京となったのに、皇居の鬼門*2にある江戸総鎮守の祭神が朝敵ではまずいだろうということで、明治天皇の参拝に先立って将門は祭神から外され、大己貴神*3が祭神ということになりました。
それが、将門を主人公とした大河ドラマの「風と雲と虹と」による将門ブームにも後押しされて、昭和58年に将門が祭神に返り咲いたという形です。
ここは例年通り臨時の賽銭受けが準備されていました。参拝を済ませて混雑するその辺を見渡すと拝殿の方向ではなく、賽銭受けの方を向いて拝んでいる人達がたくさんいました。あの賽銭受けは臨時のものなんですけどね。
授与所はなんだか改修中で、工事用の金属フェンス(という表現でいいのか少し疑問)で覆われていました。

大宮氷川は武蔵国一ノ宮でもあり、遷都後最初に天皇が参拝した神社ということであのあたり周縁では格的に最強の神社と申せましょう。そもそも大宮の地名が氷川神社由来なのです。
しかしそうは言っても混み過ぎ!
以前から混んではいましたけど境内への入場制限って! 境内の池が凍ってる中そんな1時間とか待っていられませんし、比較的近所の馬車道へ避難しました。
しかし馬車道で昼食をとり帰ってきてもまだ混んでたのには閉口。昔からこんなでしたっけ? 確かに毎年凄く混雑はするのですが……。親父殿曰く「この辺も人口増えたからなあ」とのことですがしかし1年やそこらでこんなに変わりますかね?

*1:スカート状の袴ではないということ

*2:裏鬼門には日枝神社があります

*3:またの名を大国主神