佐和山城って発掘調査してたんですね

 豊臣秀吉重臣石田三成(1560〜1600)の居城があった滋賀県彦根市佐和山城遺跡から、内堀の東端の遺構が見つかり、県文化財保護協会が18日、発表した。
内堀西端に築かれたと伝わる土塁の東側約550平方メートルを発掘し、確認した。

 織田信長の居城・安土城安土町)の内堀の幅は10〜30メートルで、協会は「ほぼ同規模の城構えだった」とみる。内堀東側の城下町の区域では、金属精錬時に送風する16世紀後半の「鞴(ふいご)」や、溶けた金属を取り出す容器「取(と)り瓶(べ)」を発見。一帯で職人が武器などの鉄製品を生産していたことがうかがえるという。

"「三成に過ぎたるもの」佐和山城内堀は大型 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞"

文中にもありますが三成に過ぎたるものと呼ばれた佐和山城ですからちんけな城のはずがないんですよね。城跡に出かけた時はさらっと登れてしまったので「あれ?」と思ったのですが堀とか埋まってたわけですね。そういえば佐和山城は徹底的に壊すために盛り土さえも掘り返していったみたいな話もあるのでこういう城にこそ発掘調査が必要なんでしょうねえ。