某所で劉蜀という表現を見かけた

うーむ。曹魏孫呉と並べて書かれていたので三国を統一した記法で表したかったのでしょうけどそれはどうなのでしょ。
劉備が建てた国の号は蜀ではないのです。漢なのです。
劉備は劉氏の漢を受け継いだつもりなのです。
なので劉蜀というのは正確な記述ではないかなあと。本当に統一した記法で表したいなら劉漢と書くよりないのです。しかし、それでは前漢後漢と区別が付かないので、統一記法で書くのは諦めて蜀漢とするのが慣わしとなっています。
では、何故劉備が建てた国は漢なのに蜀と呼ばれているかと言うと、史書三国志には蜀と書かれているからです。
では何で史書三国志には蜀と書かれてしまっているか、というとちょっとややこしい話になるのですが……。
史書三国志、所謂正史三国志を書いた陳寿は、三国志を著した時には晋という国の家臣でした。
なので晋の正当性を揺るがせることは絶対に書けません。殺されます。
ではその晋の正当性は何に担保されているのかというと、魏から国を譲り受けた、禅譲されたということになっている、というところにあります。その魏の正当性は漢より禅譲を受けたことにあります。
劉備の国が漢であると認めてしまうと、魏の正当性が怪しくなりひいては晋の正当性をもゆるがせることになってしまうのです。そこで、陳寿劉備の国をその地名から取って蜀として三国志に記述しています。
しかし陳寿は元々は劉備の家臣であったので、晋の正当性を脅かさない範囲で色々な形で劉備とその国に敬意を表したり、事実を伝える努力ををしています。
その中の一つが「季漢輔臣賛」の引用です。これは楊戯という人物が著した、劉備の漢の家臣について書かれた書なのですが、わりと内容はどうでもいい感じの書です。なのになぜ陳寿はこの書を引用したのかというと、そのタイトルを三国志の中に入れておきたかったのでしょう。
季には末っ子という意味があります。なので季漢は末っ子の漢という意味になります。前漢後漢と来て、劉備が建国した国は末っ子の漢であった、ということを後世に残すために、直接劉備の国を漢と書けなかった陳寿はこの「季漢輔臣賛」を引用したと言われています。
他にも色々陳寿劉備蜀漢に対して工夫を凝らし敬意を払っていて、その努力には感服せざるを得ません。古代中国にはこうやってできるだけ正しい歴史を残そうとする硬骨漢が必ず居るのでそれは素晴らしいことだと思っています。

「〜と考える学者も居る」「誰ですか紹介してください」「『この問題が議論になればそういう学者も出てくるという意味』でした訂正します」

EXAPONさん経由でhttp://d.hatena.ne.jp/rerasiu/20041115#p4 の続報です。


実は日枝会長も、著作権法に対する一般の理解の低さを利用した、とも取られかねない発言をしている。民放連のウエブサイトにはないが、日枝会長は記者会見で「放送は1時間がすべて著作物と考える学者もいる」と述べた。その学者を紹介してもらおうとしたところ、民放連会長室は「この問題が議論になればそういう学者も出てくるという意味」と発言を訂正した。
何それ! そんなのあり!? というか、何でそういう学者も出てくると言い切れますかね? 適当なことを言って法に触れるとか恫喝するのは感心できません。
と言うか「CM飛ばされるとそれで食ってる私たちはやっていけないんですよ何とか上手くやる方法はないですかね?」と言う風に言えばいいものを、変な理屈をつけて「法に触れる!」とか言うのは実際に法がそのようになっていても*1反感を買うだけですよ!

*1:今回は法はそうなっていないっぽいですが