そう言えば

山本勘助はどうも実在だったらしい、という証拠となった市河文書の話が出ていましたね。市河藤若という人に信玄が書状を出して、その最後に「詳しくは遣いの山本管助が話すんで聞いてください」と書いてあるんですね。こういった使者は小者には任せられないので、それなりの地位の人であったことが想定されます。「勘助」じゃなくて「管助」じゃないか、って話はまあこの頃は当て字が横行していましたから。高坂昌信だって本当は香坂なのに高坂で名前通っちゃってますし。
この市河文書というのは「天と地と」という小説のドラマ化を見た人が「そう言えばこの信玄のサインうちの蔵でみたことある」と漁ったところ出てきたものなのですが、「天と地と」のあとがきには「山本勘助は実在が怪しいので出しませんでした」とわざわざ書かれていたものなのでした。勘助を否定するものが勘助の存在を浮かび上がらせたという。面白いものですね。