こんばんはイタリアです

何故我がイタリアが急進的拡張政策を取ったのかを説明します。
この凄まじい国際情勢の中、国を保つためには最新鋭の技術こそが重要なポイントとなります。技術の開発は、開発ラインに研究チームを割り当て研究をさせることにより進みます。この開発ラインの数がその国の工業力に依存するのです。工業力(IC)0の状態で開発ラインは1、20で2、40で3、80で最高の5ラインになります。この状態ですと同時に5つの技術の開発をすることができるのです。
さて、1936年のイタリアの工業力は64です。大戦主要国(米英仏独ソ日伊)の中で唯一ラインが4しかありません。このままではどんどん差が開く一方。イタリアは、何としてでも早急に工業力16を手にする必要があったのです。
さて、前回の記事はスクリーンショットなしでしたので少々解りにくかったと思います。
というわけでスクリーンショットを用意しました。
4月7日の世界

薄グリーンが我がイタリアの国土です。
ルーマニア首都ブカレストをイタリア陸軍が解放した瞬間

イエローがルーマニアです。赤は言うまでもありません。右下の青緑はブルガリア、その下の濃い水色はギリシア、左上の2エリアの国はハンガリーです。
なおこの5秒後にブカレスト赤軍に支配され、ドゥーチェは喜びの絶頂から叩き落とされました。我がイタリアがソヴィエトと国境を接することが確定した瞬間でした。
現在の状況

ポーランドはほぼ完全にコミュニストが巣食う地となり、ドイツが赤軍に喰らい付かれています。良く見るとフランスもドイツに攻め込んでいます。
ソヴィエト、フランスと国境を接している関係上、あまり目立つのは得策ではないのですが、しかしこのまま時間切れを待つというのも……。ドゥーチェは、次の目標をスペインに定めました。もし赤軍に旧ユーゴエリア以東を食い破られた時の保険にもなりえるからです……。