三国志初心者の方のための人物事典 第2回

この人物事典には真実が含まれている場合があります。

呂蒙(リョモウ)

元々は革命のため何も考えず指示通り黙々と戦う闘士だったが、孫権に書物を読むよう諭され『共産党宣言』を読み真の意味で共産主義に目覚める。これが影響したか、後にスターリン批判に嵌まりスターリン支持派の関羽と決裂、内ゲバの末これを斬った。その変貌ぶりに同志魯粛は「呉下の阿蒙にあらず(俺が知っていた呉の蒙ちゃんはこんな子じゃなかったのに)」と漏らした。これに対し呂蒙が「士、別れて三日、刮目(かつもく)して相待すべし(三日もあれば男ってもんはいくらでも変わってしまうんですよ)」と答えたのは有名。

徐盛(ジョセイ)

偽装建築で曹丕を撃退したという、三国時代姉歯秀次

荀攸(ジュンユウ)

袁紹軍の猛将文醜を斬ったと正史三国志の記録に残っており、大変な武勇自慢であったことがわかる。

華佗(カタ)

三国志きっての名医なのでスーパードクターなどと言いたくなるが、アルファベットで表記すると残念ながら HuaTuo である。期待はずれな男。

ケイ道栄(ケイドウエイ)

漢帝国の皇統に連なる、中央から派遣された統治官劉度に従う武勇あふれる忠勇の士。皇統を詐称する不穏分子劉備一党に捕らえられ、その朝廷への忠誠心を危険視されて問答無用で斬られた。

劉度リュウタク)

漢朝から派遣された正式な零陵の統治官だったが、劉備率いる革命勢力に一撃で敗北、降伏した。

劉賢(リュウケン

劉度の息子。その名前から高い格闘能力を戦力として期待されたが、波動拳の一発も撃てなかった。

曹丕(ソウヒ)

漢の丞相曹操の息子。魏を建国したが即位後7年で病に倒れた。これは呉のカン沢による「曹丕の丕の字は分解すると不十だから即位から十年もしない内に死ぬよ」という文字遊びのためでありくだらないジョークのために殺された不憫な人物である。

夏侯尚(カコウショウ)

夏侯淵の甥。三国一のメイド萌え。囲ったメイドにばかりかまけて正妻をないがしろにした。この正妻は曹丕の一族であり、曹丕は不快に思ってこのメイドを殺させた。するとショックのあまり夏侯尚はボケてしまい、病を得てそのまま死んでしまったという。

李鵬(リホウ)

共産党の書記長だが、自ら先陣に立ち薙刀を舞わせて戦った。しかし蜀将傅僉に鉄扇で眉間を殴られ目玉が飛び出して死んだ。

王真(オーシン)

李鵬の相棒。プージという斧が得物。後にレンスター王国解放の立役者の一人となる。

于麋(ウビ)

孫策に斬られた。

樊能(ハンノウ)

孫策に斬られた。

張英(チョウエイ)

孫策に斬られた。

陳横(チンオウ)

孫策に斬られた。

厳輿(ゲンヨ)

孫策に斬られた。

許貢(キョコウ)

孫策に斬られた。

干吉(カンキツ)

孫策に斬られた。

周繒(シュウキン)

「NHKですが」と言って近づいたため孫策に斬られた。

太史慈(タイシジ)

孫策に斬られなかった。

孫策(ソンサク)

孫堅の子。袁術の配下だったが勝手に独立し、朝廷から派遣された正式な統治官である劉ヨウや王朗、東呉の徳王と呼ばれた厳白虎などを武力で追い払い、その無法ぶりを朝廷に報告した許貢を逆恨みして斬り、自分より人気のあった干吉に嫉妬して斬るなど無道極まりない蛮人。血は争えない。