平成霊異記


いわゆる付喪神を恐れるあまり、あえて「神殺しシステム」を全ての工業製品に組み込んだ。
のちのソニータイマーである。
「どうも、天津堂です」
現れたこの屋敷、御堂家の主に、忠道はちょいと頭を下げた。
「ああ、天津堂さん。今日は遠いところを、わざわざすみません」
50くらいと聞いていたが、それよりもかなり老けて見える。いや、老けて見えるというよりも、心労がひどいのだろうか。
あまり良くない予感がする。今日も本業はさせてもらえないのではなかろうか。
「それで、本日お見せいただける壺というのは……」
忠道は主の世間話を遮ると、仕事の話を切り出した。
「ああ、すみません。遠いところへ来ていただいておきながら、余計な時間をお取らせしては」
客間に通されて、たっぷり10分は待っただろうか。出て行く前と全く同じ姿勢で座っている忠道を見て、主は軽くため息をついた。
主が持ち出してきたのは白磁の壺だった。見栄えは悪くないが、美術的・歴史的価値となると疑問が残る。
いやそれよりも、これは骨董品と呼べるものではない。敢えて言うならば、現代美術の部類に属する。
ならば骨董屋の忠道を呼ぶ必要などない。予感は的中したようだった。
「困りますね。どこで噂を聞かれたのか存じませんが……。確かに拝み屋のようなこともしておりますけれども、私は骨董品、古道具屋の店主ですから」
うつむいていた主は、顔を上げて安堵の表情を見せた。
付喪神、ですな」
忠道は、主がチラチラと視線を向ける先、部屋の隅に据えられたテレビを見てそう言った。
実は、忠道がこの部屋に入った時から、いや、実際にはそれよりもずっと前からであろう、このテレビは周囲に人が居るわけでもないのに、点いたり消えたりを繰り返している。
それどころか、何やら「苦しい」とも聞き取れる、声のような音も発している。番組の音声が途切れ途切れに聞こえているわけではない。なぜなら、画面が消えている時も、声は止まない。それに、これは人間との声といえるような音ではない。
そもそも、本来テレビは勝手にガタガタと、貧乏ゆすりのように動いたりはしないのだ。
「つくもがみ、ですか?」
主の言葉に忠道は頷く。
「『陰陽雑記』という書物によると『器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑す、これを付喪神と号すと云へり』と言います。百年にも及び人の思いを受け続けた道具には、心が生まれるのですよ」
「待ってください、あのテレビは」
「ええそうでしょう。大体、百年も前にテレビはありませんからね。百年というのは、昔の道具ならば、です。今のテレビなんかの家電ですと、まあ10年もあれば付喪神になってしまいますよ」
「どうして、そんなに早く?」
「失礼します」そう言って、忠道は懐からゴールデンバットを取り出し、火を点けた。
「最近の機械は部品の数が多すぎます。それぞれの部品に人の思いが籠もるものですから、その機械全体として考えると、昔の道具よりも飛躍的に人の思いが籠もりやすい。また、製造過程、流通過程などでも多くの人が関わりますからね」
「工場で大量生産されたものよりも、昔の、職人さんが一つ一つ作ったものの方が、人の思いに触れるんじゃないですかね? 思い入れも違うでしょうし」
忠道は大きく煙を吐いた。
「工場で作ったと言っても、人の思いが籠もりますよ。しかも、一人一人の思いはさすがに薄いですが、人の数はなかなか多いです。機械を操作する人、工場を監督する人、テレビだとその色合いを確認する人、などですね」
「そういった人の思いも影響するのですか……」
「ええ、そうです。その結果、テレビなら10年ですが、もっと小さくて部品の多い機械、例えばウォークマンの類などですと、ずっと早い。3年がもあれば十分です」
「いや、ですけど、3年なんかすぐに経ってしまいますよ? それでも、付喪神の話など、今まで私は聞いたことがありません」
主はチラチラとテレビへ視線を投げ、まだ落ち着かないそぶりだが、話はちゃんと聞いているようだった。
「ああ……それはそうでしょう。実は、簡単に付喪神が生まれないようにしているカラクリがあるのです」
忠道はやや身を乗り出すと、ゴールデンバットの先を灰皿に押し付けた。
「まず、前提として知っていただきたいのですが、どうも工場や流通の間で受ける人々の思念が良くないものが多いようでしてね。そういった思念を多く受けた機械は、良く扱ってもらわない限り、持ち主に牙を剥く付喪神になります」
「そうなのですか!」
主は明らかにテレビに怯えていたが、忠道は意に介する風もなく、涼しい顔で応じた。
「ええ、そうです。そこで考え出されたのがソニータイマーです。1年で壊れて捨てられてしまえば、さすがにそこまでの短期間では付喪神にはなりませんから、安全です」
「単にソニーの利益を追求するための仕組みではなかったわけですか」
「ええ、そうです。『お客様』の安全を守るために考え出されたのでしょう。確かに合理的で、間違いがありません。ですが、私は賛成できません」
そう言うと、忠道はおもむろに立ち上がった。
「その機械を大事に丁寧に扱えば、持ち主に害をなす付喪神にはならないのですからね」
忠道は「苦しい」と言い続けるテレビに右手を差し出し、念を込める。
すると、バシュッと、ボンベから気体が漏れるような音がして、テレビは静寂を取り戻した。
「失礼なことを申し上げますが、お部屋を拝見したところ、お金にご不自由はしていらっしゃらないようですね。ですが、それでもこのテレビに限らず、色々な物を粗略に扱ったりはしていらっしゃらなかったようだ」
「いえ、特に意識はしておりませんでしたが」
忠道は大きく頷いた。
「そうですか、それなら尚更良い。この付喪神は善良なものです。いい加減な取り扱いをしていたなら、あなたはこいつから危害を加えられていたでしょう。また、私の手にも負えなかったかも知れません。ですが、こいつは、ただ」
忠道は千切れかけた電源ケーブルを指差した。
「これを伝えたかっただけですよ。こいつにとっての電気は、我々にとっての空気と同じようなものですからね」
「ああ……気付きませんでした。こんなことになっていたとは」
「苦しくて、暴れていただけです。別にあなたたちに害意があったわけではありません。早々にこのケーブルを交換してやってください。鼻と口をふさがれているようなものです。埃が溜まれば、火事の原因にもなりかねませんし」
忠道は鞄からテープを取り出すと、千切れそうになっている部分に、何重にも巻きつけた。
「これからも、大事に取り扱ってやってくださいね。そうすればこいつも悪いようにはしませんから」
忠道が帰り支度を始めると、主はそれなりの厚さがある茶封筒を差し出した。忠道は右手を大きく振って
「ああいや、お代は結構です。特に何をしたというわけではありませんから」
と言ったが、それでも主は差し出した封筒を引っ込めはしなかった。「それでしたら、ご好意を無にするわけには参りません」と、封筒を懐に収めると、和服に隻眼の男は去っていった。
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